こんにちは!
株式会社EIZINです。
今回は兵庫区の一部である、平野についてお届けしたいと思います。
下祗園町・上祇園町・下三条町・上三条町・雪御所町・湊山町の町域が
『平野地域』と称されています。
大正時代初期は上流階級の住む住宅地として家が立ち並び、
表通りには商店街があり賑わっていた様です。
平清盛ゆかりの郷~夢を見た地~
”平清盛ゆかりの地”として平野交差点のところには
『ようこそ!平清盛ゆかりの郷 ひらのへ』と書かれています。
また目印にもなっている平清盛像もあります。
平安時代末期、平清盛によって神戸に首都を作る計画があったことは歴史でも有名な話です。
そしてこの平野地域には祇園神社や平清盛私邸跡【雪見御所邸跡】があり、
この地区が福原京であったのでは…といわれています。
◆なぜ福原京を都に選んだのか…◆
福原京を都に選んだ理由には諸説あります。
奈良・京都の政治勢力による政治干渉を避けるため計画を推し進め、
福原遷都によって新しい朝廷として出発を考えていた。
しかし、この計画はわずか半年で全国で平氏への反乱が起きたことから頓挫してしまいます。
福原には平家の港でもある大和田泊が あり、宋(中国)との貿易の拠点となっていました。
この地を貿易の要の地とし、日宋貿易で陣頭指揮をとる事を考えていたのでしょう。
またここには平家一門の別荘も多かったそうです。
平家一門が栄耀栄華を過ごした、ここ平野で平清盛は過去に壮大な夢を描いていました。
平野商店街
人口減少・少子高齢化の波にのまれ、この町の発展は止まってしまったと言われていますが、
今でも現役でお店を構え踏ん張ている店舗もあります。
この平野商店街は戦後昭和23年(1948年)の戦後動乱期に前身となる商店会が
発足されたのが始まりとされています。
そして昭和38年(1963年)に現在の平野商店街振興組合に改組されました。
かつて神戸市電の終着駅であった平野は、とても賑わっていた様です。
この平野商店街も例外ではありません。
今では廃業でシャッターを閉めているところもありますが、
昭和レトロな佇まいを感じられる平野商店街は、三宮や神戸駅周辺のお店と違い、
どこか懐かしい気持ちになる場所ではないでしょうか。
解体が進んでいる平野市場
昭和22年(1947年)に誕生し、平成22年(2010年)に閉鎖された平野市場。
閉鎖後も一部同じ場所で営業を続けていたお店もあった様ですが、
平成30年(2018年)頃から本格的に解体が進んでいます。
かつては平野商店街と町の人と共に発展を遂げてきた平野市場ですが、
人口減少・少子高齢化に伴って衰退していってしまいました。
ここ平野地域には神戸市電平野線が廃業された後、
最寄りの駅が地下鉄大倉山駅か神鉄湊川駅と少し離れた場所にあることが
衰退の要因の一つになってしまったのではないかと考えられています。
坂の町 神戸
隠れた名所とされている驚くほど急な階段…。
石井橋から山側を見ると民家の間に急な階段があります。
また細い道や、坂も多く登って行った先にもいくつもの民家があります。
まさに『坂の町』と称される神戸の風景の一部ではないでしょうか。
◆周辺には神戸市立神戸祇園小学校がございます。
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